オーガニック・無添加・食品のお店

~でいいや。

FSSCの審査の前日。現場の者と話していた時のこと。明日に迫った審査について私が「明日一日だけでもいいから、」との一言を発した。審査の日一日だけ、うまく取り繕っておけばいいという安易な考えが私にはあった。その心が、ふっとでる言葉となった。

私のそのひと言に、間髪をいれず、「ほれは!あかんて!(それはダメ〉」と、K。私は、Kのひと言で、はっと我に返った。審査の日だけパフォーマンスで通しても自分の本当の身についてないからダメだというのである。

私は、自分の安易な認証に対する姿勢を恥ずかしく思い、情けなくなった。会社の仕組みをこの認証をとることによって少しでもいい方向に変えていくのが、目的である。それが、審査の日だけいいかっこしておけばOKとの姑息な考えでは会社のいく末も目に見えている。

「~でいいや」との考えは恐ろしい。一度その思いにとらわれてしまうと、ささいなことから、生きる姿勢まで「どうでもだんね(どうでもいい)」という-のスパイラル(と言うか、あり地獄と言うか)にはまり込んでしまう。

Kのひと言で、私の後ろ姿の大きな穴(自分では見えない)が見えた気がした。我が子は、その私の前の顔(口先だけ)をまねず、私の後ろ姿を全面に出して生きる。そして、「親がそうしたから自分もまねをした」と挑戦状を突きつける。親業も修行だ。

この記事に関連するかもしれない記事