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はたやの娘

母が父と結婚した時私の実家は、はたや(機業、はたおり)をしていた。私は「はたやの娘」だった。その当時福井県には、はたやが多く最盛期には「ガチャ万」と言われていた。ガチャ万とは、織機が一度ガチャとはたを織る度に一万円儲かるという意味だ。

でも、そんな景気のいい話はいつまでも続くはずもなく、はやたは衰退の一途をたどる。私が小学生の時に、実家のはたやも廃業となった。廃業する前には、近所の人から「今に見てろ。M(私の旧姓)さんは、行ってまうぞ(夜逃げしてしまうぞ)」と後ろ指をさされたと聞いた。

はたやを廃業した父は、家業の農業もしながらとにかく働いた。土方(今は土木作業員という)や、愛知県の自動車工場に出稼ぎに行った。

今思うと、そのなりふり構わず働いた父母の姿こそが一番の教育だった。

(続く)

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